火曜日の夜七時、表参道の古いビルの四階。エレベーターを降りると、廊下のつきあたりから微かに湯の沸く音が聞こえてくる。今日の稽古は一時間半。先生は六十代の裏千家の師範で、生徒は会社帰りの二十代から五十代まで、いつも八人ほど。
現代の「短い稽古」
本格的な茶道 さどうthe way of teaの茶事は、四時間から五時間にわたる。しかし平日の稽古は、六十分から九十分枠に圧縮されるのが一般的だ。省略されるのは懐石(食事)と炭手前(炭の据え方)で、残されるのはお点前の骨格 — 湯をくみ、茶を点て、客に出す、この一連の動き。
着物は週末の正式稽古だけ、という教室も多い。平日は稽古着 けいこぎpractice clothesと呼ばれる、動きやすい着物風の上衣と袴だけで済ませる。完璧に「伝統的」な姿を目指すのではなく、体の動きを覚えることに集中する。
続けるための工夫
忙しい社会人が茶道を十年以上続けているケースを聞くと、共通している工夫がある。
一つ目は、完璧を目指さないこと。所作 しょさgesture; carriageの一つひとつを、稽古のたびに完璧に身につけようとしない。五年かけて自然になればいい、という時間感覚で取り組む。
二つ目は、家で復習しないこと — これは意外かもしれない。自宅で一人で練習すると、誤った癖がつくことが多い。週に一度の稽古の場で、先生の前で、体の記憶として身につけていく。
何が残り、何が手放されるか
現代の稽古で意識的に残されているのは、四つの要素だと聞く。一服のお茶を点てる手順、道具を清める作法、客としての振る舞い、そして一期一会 いちごいちえonce-in-a-lifetime meeting; treasuring the momentという考え方。
逆に、時代とともに手放されていったものもある。厳格な座次の決め方、客ごとに違う細かい作法、特定の和菓子を手配する手間 — これらは現代の稽古場では簡略化されるか、事前に取り決められている。
ある夜の稽古
湯が沸く音、茶筅 ちゃせんbamboo tea whiskが茶碗の底を擦る音、誰かの袴が畳を擦る音。稽古の間は、声より音のほうが多い。一時間半はあっという間に過ぎて、終わると外はすでに暗く、表参道の交通が戻ってくる。電車に乗って帰る道すがら、指先にはまだ茶筅の感触がわずかに残っている。
稽古の最後に先生が言う一言は、毎回少しずつ違う。ある日は「手が早い」、ある日は「背中が固い」。同じ動作の中に、毎週違う発見がある。それが、長く続ける人が口を揃えて言う、茶道の面白さなのだろう。
「変えない」ことではなく、「何を核として残すか」を毎世代が選び直している。それが、現代まで続く茶道の柔らかさのようにも見える。関連して侘び寂び わびさびaccepting imperfectionの記事も参照のこと。