三月半ば、仕事のメールを開くと、こんな一文から始まっている。「寒さも緩み、春の気配を感じる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか」。本題の前に、まず季節の状態が述べられる。これが時候の挨拶 じこうのあいさつseasonal greeting (letter opening)で、日本語の書簡文化の骨格をなしている。
何を述べているのか
時候の挨拶は、単なる天気の話ではない。年の 365 日を二十四に分けた二十四節気 にじゅうしせっき24 solar terms (seasonal calendar)に対応する、定型的な記号である。二月なら「立春」「雨水」、三月なら「啓蟄」「春分」— こうした節気に応じて、使うべき挨拶の語彙が違う。
この儀礼的な冒頭は、発信者が「いまがどの時期か」をまず認識している、と示すためのものだ。天気そのものを話題にしたいわけではなく、年の地点を共有することで、その後の本題の受け手の準備を整える。
月ごとの定型
公式な文書では、月ごとに用いる挨拶が決まっている。一部を示すと、一月は「厳寒の候」「寒中お見舞い申し上げます」、四月は「陽春の候」「桜花爛漫の折」、七月は「盛夏の候」「暑中お見舞い申し上げます」、十一月は「晩秋の候」「初霜の候」。
メールの時代に、なぜ残るか
スマホとチャットの時代に、こんな形式的な挨拶が残っていることを、不思議に思う人も多い。しかし、ビジネスメールを書く日本人の大半は、いまなおこの形式を守っている。
理由の一つは、挨拶がクッションとして働くから。本題に直接入ると、受け手に心理的な負担を与える。一行の季節描写を挟むことで、メール全体の温度が下がりすぎない。
季節の感覚を、言葉で保持する
二十四節気は中国から渡ってきた暦法だが、日本では七十二候 しちじゅうにこう72 micro-seasons (5-day units)というさらに細かい区分もある。「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)」「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」— 五日ごとに季節の名前が変わる。
候 こうseason / climate (formal)という一字が、こうした細かい時間感覚を背負っている。時候の挨拶を書くとき、書き手は無意識にこの長い時間軸を参照していることになる。
季節を贈る
季節 きせつseasonの記述は、情報ではなく贈り物に近い。「夏も終わりに近づきましたね」という一行は、受け手に時間を共有する身振りだ。情報効率だけで測ると、無駄に見える。しかし、効率で測れないものを交換するのが、書簡という媒体の本質でもある。
言葉が、失われかけていた季節の感覚を、書簡という器の中で保存している。形式が残る理由の一つは、たぶんそこにある。関連して七夕 たなばたStar Festival, July 7の記事も、季節の暦と言葉のつながりを扱っている。