文化

障子の美学 — 紙越しの光を読む

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障子の美学 — 紙越しの光を読む

夕方四時、窓ぎわの畳に座ると、障子越しの光が別の生きものに見える。外はまだ明るく、人の影がうっすら差している。それでも眩しくない。鋭い角が、紙を通ったところで一度ほどけて、部屋全体に薄く広がる。

整えるための装置

障子の目的は遮光ではない。和紙の向こうから入る光は、およそ四割。これは日射を弱めるという発想ではなく、光の性格を変える装置として設計されている。直射の鋭さは、粗い繊維の間で何度も屈折し、入ってきたときには拡散光に近くなる。眩しさは消え、陰影は残る。

季節で表情は変わる。夏は外光が強いぶん、部屋の内側に白い膜がかかったようになる。冬は太陽が低く差し込み、桟の影がくっきりと畳に伸びる。同じ建具が、時間と天候の記録装置になっている。

修繕される建築

もう一つの特徴は、直せるということ。障子 しょうじpaper sliding door / screen は一枚の紙ではなく、格子状の桟に手漉きの和紙 わしJapanese handmade paperを貼り重ねた構造で、破れた部分だけを貼り替えられる。子どもが穴を開けても、家ごと直す必要はない。西洋のブラインドや窓にはない考え方で、壊れやすさと長持ちを両立させる設計思想がある。

西洋の窓と、どう違うか

西洋建築の窓は「見る」ための装置である。外を見る、採光する、風を入れる — 機能は明確に分けられ、必要に応じてカーテンやブラインドで閉ざす。障子は違う。見るのではなく、気配 けはいpresence / atmosphere / felt sense を伝える。向こう側に誰かがいる、雨が降っている、日が傾いた — 具体的な映像ではなく、存在の温度だけが届く。

障子は、 negative space; interval between things の建築言語と深く結びついている。紙一枚で仕切られた部屋と部屋は、完全に隔てられてはいない。声は低く通り、光は薄く通る。これは西洋の壁とは異質な境界の引き方で、陰翳 いんえいshadow; chiaroscuro を美学にまで高めた谷崎潤一郎の文章が想起される。

いまの住まいで

現代のマンションでも、一部屋だけ障子を残す選択は残っている。採光を柔らかくするため、寝室の窓辺に取り付けるケースが多い。メンテナンスを気にする人は、和紙ではなくポリエステル製の「プラスチック障子紙」を選ぶ。外見はほぼ同じだが、破れにくく、拭き掃除ができる。

われわれの祖先は、光をとりこむ道具として障子を考えたのではなく、光をやわらげる道具として考えた

— 谷崎潤一郎, 陰翳礼讃

強い光を弱めるという一点で、障子はいまも古びていない。ブラインドで閉ざすのではなく、和紙越しに ほどく。同じ目的にも、別の手つきがある。